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未来に残したい結縄語100

本紙12月17日付け一面に掲載された「病死の娘と学ぶしまくとぅば」を読んで胸が熱くなった。千葉県の主婦が「いつかしまくとぅばを話したい一」との願いを果たせずこの世をさった娘の遺志を継ぎ、しまくとぅばを学んでいるという。しまくとうば検定を受けたいと独学で始めて5年。初の検定試験は「でーじうむさいびーたん」と。希望に満ちたであろう人生を高校生の時に閉じてしまった娘を思う母の愛・ちむぐくる肝心。涙なしには読めなかった。
亡くなった娘のしまくとぅば・沖縄語に対する関心は、インターネットでお笑い芸人の動画を偶然見たのがきっかけというが、この二,三年那覇市文化協会うちなーぐち部会のホームページを見て、しまくとぅばに対する問いあ合わせが県外から増えている。これまでアクセスがあったのは早稲田大学、立教大学、名古屋大学など六大学。ユネスコから消滅の危機言語だと指定されている沖縄語に注目し、沖縄の人が言語復興をどのように捉えているか、普及団体としての考えを知りたいというものだ。また大学生だけでなく民放テレビ局の番組企画や携帯電話業者も「未来に残したい沖縄語100」として動画配信したいと協力を求めてきている。今月は総務省自治研修所で研修中の秋田県、愛媛県大分県の職員も19日に来沖し取材を受けた。
このような県外の沖縄語の関心に高まりに対し地元沖縄は、しまくとぅば・沖縄語という独自言語の消滅に対する危機意識が若干希薄ではないかと思えてならない。2006年に「しまくとぅばの日」が制定されてやがて20年になるが、今年5月に発表された県民意識調査によると話者は県民の1/4にまで激減している。17年にしまくとぅば普及センターも設置されたが、しまくとぅばは10年を待たずして消滅するのではないかと危惧される。言語は文化遺伝子、アイデンティティーの根本である。しまくとぅばウチナーンチュのは魂だ。組踊りはユネスコの世界遺産になった。この大切な言葉を継承する抜本的な施策は学校教育に導入する以外期待できない。総合学習やクラブ活動では限界がある。
先述した言葉は魂であるとことに関連して資料を調べていたら世界母語デーというのがある事を知った。普及団体として迂闊だった。バングラディシュが東パキスタンという国名の1952年に起きた事件が契機となった。東パキスタンは多くの人がベンガル語が使用していたが西パキスタン出身の首相が全体の国語をウルドウー語にしようとしたところ反対し抗議行動をした住民5名がが殺された。1999年にユネスコは事件のあった2月21日を国際母語デーと定めた。言語は民族の尊厳であり命をかけるほどのことであったのだ。琉球処分140年、言語や風俗習慣を抑圧されてきたウチナーンチュにとって何か示唆的な事柄ではないか。若い世代にとって、しまくとぅばは最早母語ではない。日本語が母語になっている。日本国民としての同化政策は近い将来完結するのではないか。まきてーならんどーウチナーンチュ。ウジュミヨ(目を覚まして)

2019年12月18日
那覇市文化協会うちなーぐち部会会長